映画には、時代ごとに「当たり年」と呼ばれる年があります。
今年は日本映画界において記録を更新するような話題作が誕生し、多くの観客が劇場へ足を運びました。
それは、私たち映画の創り手にとって大きな喜びであり、励みとなる出来事でした。
しかしながら、その光が強いほど、その周囲にある数多の輝きが見えにくくなることもあります。
映画祭とは、そうした“まだ知られていない光”にこそ目を向ける場所であると、私たちは考えています。
話題作に並び立つように存在する佳作・傑作を見つめ、その魅力を語り合う。
それこそが、映画祭の本質であり、意義であると信じています。
映画とは、記録的なヒット作品のみを指すものではありません。
日本映画は、もっと多様であり、もっと自由です。
観客の心の奥に眠る“発見の喜び”を呼び覚ますような体験を、この熊本の地で分かち合いたいと願っております。
是非、あなたがこれまで“選ばなかった”一本と、この映画祭で出会ってください。
その作品が、きっとあなたの人生の記憶のどこかを、静かに揺さぶることでしょう。
映画は、人と人とをつなぎ、
時代を越えて、心を照らし出す芸術です。
この小さな映画祭が、日本映画の未来を支えるささやかな原動力となることを、心より願っております。
皆さまのご来場を、心からお待ち申し上げます。
今年は日本映画界において記録を更新するような話題作が誕生し、多くの観客が劇場へ足を運びました。
それは、私たち映画の創り手にとって大きな喜びであり、励みとなる出来事でした。
しかしながら、その光が強いほど、その周囲にある数多の輝きが見えにくくなることもあります。
映画祭とは、そうした“まだ知られていない光”にこそ目を向ける場所であると、私たちは考えています。
話題作に並び立つように存在する佳作・傑作を見つめ、その魅力を語り合う。
それこそが、映画祭の本質であり、意義であると信じています。
映画とは、記録的なヒット作品のみを指すものではありません。
日本映画は、もっと多様であり、もっと自由です。
観客の心の奥に眠る“発見の喜び”を呼び覚ますような体験を、この熊本の地で分かち合いたいと願っております。
是非、あなたがこれまで“選ばなかった”一本と、この映画祭で出会ってください。
その作品が、きっとあなたの人生の記憶のどこかを、静かに揺さぶることでしょう。
映画は、人と人とをつなぎ、
時代を越えて、心を照らし出す芸術です。
この小さな映画祭が、日本映画の未来を支えるささやかな原動力となることを、心より願っております。
皆さまのご来場を、心からお待ち申し上げます。
くまもと復興映画祭ディレクター
行定 勲
行定 勲
去年の熊本復興映画祭では僕の上映作品はなく、映画祭のTシャツをデザインするという役目がありました。
そのような参加も楽しかったのですが、今年は僕が参加した作品「海辺へ行く道」が上映されます。
上映作品があり俳優として参加できるのは嬉しい事です。 海辺へ行く道での役柄はエセ関西弁を使う包丁売りの男です。 ここ数年で演じた役柄の中でもお気に入りの役です。
横浜聡子監督の映画は元々大好きでした。 横浜監督の作品は映画としての驚きが無数にあり、楽しく、映画をおもちゃのように感じられると思っています。 ジャンルを言うならばジャンル横浜聡子。 熊本復興映画祭という場で皆さまに観て頂ける事が嬉しい限りです。
そして、今年もTシャツ制作に携わりました。 元ネタは90年代のカンヌ映画祭のTシャツです。ジャックニコルソンが着用している写真を見て、これだ!と思い制作しました。
世界の映画祭と地方の映画祭。規模は違えど映画でなにかを伝えたい想いは一緒だと思います。 熊本復興映画祭で上映される映画が、場が、皆様の中でなにか特別なものになり、これからのなにかに繋がれば嬉しい限りです。
そのなにかを言語化する事は難しいですがそれでいいと思っています。なにかで十分だと思っています。 僕自身も毎年熊本復興映画祭に参加する事で、映画から希望を与えられます。映画祭という場のパワーです。 それはお客さまから頂いているものです。
今年も熊本復興映画祭をどうぞよろしくお願い致します。
皆様のご来場を心よりお待ちしています。
上映作品があり俳優として参加できるのは嬉しい事です。 海辺へ行く道での役柄はエセ関西弁を使う包丁売りの男です。 ここ数年で演じた役柄の中でもお気に入りの役です。
横浜聡子監督の映画は元々大好きでした。 横浜監督の作品は映画としての驚きが無数にあり、楽しく、映画をおもちゃのように感じられると思っています。 ジャンルを言うならばジャンル横浜聡子。 熊本復興映画祭という場で皆さまに観て頂ける事が嬉しい限りです。
そして、今年もTシャツ制作に携わりました。 元ネタは90年代のカンヌ映画祭のTシャツです。ジャックニコルソンが着用している写真を見て、これだ!と思い制作しました。
世界の映画祭と地方の映画祭。規模は違えど映画でなにかを伝えたい想いは一緒だと思います。 熊本復興映画祭で上映される映画が、場が、皆様の中でなにか特別なものになり、これからのなにかに繋がれば嬉しい限りです。
そのなにかを言語化する事は難しいですがそれでいいと思っています。なにかで十分だと思っています。 僕自身も毎年熊本復興映画祭に参加する事で、映画から希望を与えられます。映画祭という場のパワーです。 それはお客さまから頂いているものです。
今年も熊本復興映画祭をどうぞよろしくお願い致します。
皆様のご来場を心よりお待ちしています。
高良健吾

